下総の細道(Life Is Like A Phantom)

百代の過客は月日にして行き来う年もまた旅人なり

なぜ「科学」はウソをつくのか

 我孫子の図書館でたまたま見つけたこんな本を読んでみました。こういう本も物理的に手に出来るのが図書館の魅力でしょうか。

     

 東大で学部を変更して2度卒業して本来「科学者」を目指しながら、トンデモ科学本を心ならずも出版されてしまい、科学界から追放され、サイエンスライタに転進した人のようです。

 この人のことは色々なところで批判もあるようですが、この本が言いたいのは「科学」がウソをつくのではなくて、政治が「科学」にウソをつかせると言うのが正しい表現でしょうか。

 昔から純粋に「科学」することは難しいことなんですね。

 誰かもどこかで書いていましたが、政治のシステムである多数決を根幹となす民主主義が「科学」を利用しようとして、「科学」ではなくなっていくのでしょうか。社会主義が崩壊してもう何十年も民主主義=多数決と言うシステムしか生み出せない社会科学に問題があるのだと思います。

 ただ、原発容認派と自称しているようですが、「『原発施設内に住んでみろ』と言われたら当然御免こうむる」と書いていて、福島や柏崎の人達のことはどうでもいいと言う東京の人の態度がにじみ出ていて、原発に関しては共感するものは何もありませんでした。

 温暖化の話も出てきますが、温暖化については本当のことはまだまだ判っておらず、IPCCの多数決による非科学な態度を批判していたことには全く同感です。

 科学者が議論しなければならないのは、原発が必要かどうかではなく、原発を火力発電と同じ危険率と被害規模で運用できると言う数字を明らかに出来るだけの対策を考え出すことが、本来の科学者の態度ではないかと思いました。(たぶん、今の科学技術では不可能だと推測していますが。)