クリストファー・ソーン著、満州事変とは何だったのか上下巻。
完読に3ヶ月以上掛かりました。この分厚い本を持ち歩くことから、漸く解放されます。
引用が非常に多く、引用は書籍名だけだったりしたので、途中から引用は一切見ませんでしたが、引用の資料に詳細な関連資料がありそうでした。
歴史の勉強と言うのは、知らない資料を紐解かないと通り一片の歴史教育に基づいた考え方しかできないことが良く分かりました。そう言う意味で、非常に面白い本でした。以下は、今までの歴史の勉強では知らなかったことです。
�@上海事変までは西欧諸国は極めて日本寄りの外交戦略だった。
�A太平洋における日本の海軍力は当時、米英よりも勝っていた。
�B国際連盟のリーダとしてイギリスはアメリカの影響力を排除したかった。
�C第一次世界大戦でアメリカから借款を英仏は棒引きして欲しかった。
�Dアメリカの「不干渉主義」と国際連盟非加盟が混乱の元だった。
�E当時繊維産業のトップだった日本はインド綿花産業の上客だった。
�F防共、中国の混乱、イギリスの混迷が国際連盟を確固たる制度で確立できなかった。
�G植民地政策の当事者だった欧米は、中国での日本の武力侵略を批判できなかった。
�H米露は国際連盟に非加盟だった。(露は日本が脱退してから加盟)
�I米の東洋政策はこの後ベトナム戦争までずっと同じ対応をしている。
曲がり角は日独伊三国同盟あたりではないか、と推測されます。日米決戦を踏み切る日本政府の判断ミスのポイントは、国内問題(経済・人口)に追い詰められていたことではないだろうか?
イギリスがアメリカと「打倒全体主義」をテーマに切り換えた点も知りたいところです。
この辺から連合国のための「国際連合」の流れが見えてくる気がします。