下総の細道(Life Is Like A Phantom)

百代の過客は月日にして行き来う年もまた旅人なり

最近読んだ本

 偶然図書館で出会った本。

 新幹線の父と言われてる、十河信二の話。上下巻あったので、3か月ぐらい掛かったでしょうか。新幹線の話は下巻の最後25%ぐらいしか出てきません。国鉄総裁になったのが75歳ですから、その半生は明治から戦後がメインなので仕方がないです。

 組合闘争でゴタゴタの国鉄の総裁になり手がおらず無理やり押し付けられ、当時借金漬けで「世界三大馬鹿」とまでマスコミに揶揄されながらも明治以来の宿願だった広軌を導入し、挙句の果てに新幹線のテープカットに呼ばれなかったと言う、本流としては全く評価されないまま終わった人です。

 でも、こう言う人は死んでから評価されています。

 話の中に出てくる満州鉄道の生い立ちに疑問を持って調べ始めることに。

 会社の職場で歴史に詳しい人から勧められた本。

 日本帝国陸軍史と言うのは派閥抗争史なんですね。始まりは長州薩摩閥排除から始まり、統制派・皇道派の派閥争いが5.11/2.26事件につながって、満州事変と言う海外でのクーデターで統制が取れない末に、憲兵を使って反対派を潰した統制派の東条英機派が、日中戦争・太平洋戦争へと突き進んだと言うことでしょうか?

 良く日本帝国海軍は優秀で立派だったとする向きがありますが、どうも海軍は陸軍を補佐する位置にしかなく、主流派の陸軍には口出しできなかっただけ、と言うのが事実ではないでしょうか?

 そのまま戦後の自民党の派閥抗争につながっていると思いました。

 なぜ統制派のドンだった永田鉄山が殺されたのか、なぜ林銃十郎は満州派の組閣を拒んだのか、等々サラッと流されている部分も多くありました。

 十河と手を組んだ「石原莞爾」と言う男に興味を持って、中古で購入。

 歴史の表には全く出てこない人物です。

 「最終戦争論」を書いた人ですが、世界一周が容易にできる飛行機の開発と一瞬にエネルギーを多量に使う兵器とによって、米国と日本とが決戦すると言う説を書いた人物です。

 石原莞爾が派閥抗争に勝っていれば、と言うことを言う人もいますが、あの時代の流れの中で中国と経済で共存するのは、石原莞爾をもってしてもやはり難しかったのではないかと思いました。

 彼が作戦部長だった時に引き起こした張作霖爆死事件が、タイミング的に10年ぐらい早かったのではないかと思いました。

 ドイツへ留学しているだけのことはあって、高速の飛行機や原子爆弾を予見して、どうしたら世界と戦えるかを考えていたことは凄い正眼だったと思います。バックボーンに日蓮宗(国中会)と言う哲学を持っていたからではないでしょうか。