下総の細道(Life Is Like A Phantom)

百代の過客は月日にして行き来う年もまた旅人なり

飯田市で墓参り

 生まれは長野県飯田市で5歳までは過ごした場所です。ほんど記憶には残っていませんが。まずは、飯田市立病院に叔父をお見舞いして来ました。一般面会は午後からと言う決まりだったようですが、女房がおばさんパワーで「遠くからきたので」と押し通して、短時間ならと言う条件付で面会を許可して貰いました。

 手術もしたと聞いていたので心配していたのですが、病室に向かったところ、散歩に行ったとかでもぬけのからでした。TVのある娯楽室で高校野球で応援している野球好きの叔父を発見。もう歩けるようになったとの事で元気そうな叔父に安心しました。

 その後、少し飯田市内をぐるりと回ってお店を探したのですが、中心街は駐車場がないお店ばかりで、また郊外に出てお店を探しました。

 権現山(風越山)と飯田駅

 この辺りは風越地区で私の通っていた保育園もフウエツ保育園だったので、地名的には風越は「フウエツ」と音読みしていましたが、どうも「かざこし」と訓読みするのが正しいのではないかと思われます。飯田市のあたりは長野県でもは元々雪があまり多くは降らない地方ですが、きっと中央アルプスで雪を下ろした冷たい風が超えてやってくる、と言う意味ではないでしょうか。

 結局郊外にあった「三匹のこぶた」と言うお店でとんかつを食べてから、国道151号へ向かおうと松川橋を渡る手前で酒屋を発見。

喜久水酒造

 知人へお土産にするために買ったのですが、送付先の住所が判らず持ち帰ることに。

 昔、ケロヨン(歳がバレバレ)のサンダルを流して泣きながら家に帰った松川。小学生以下の子どもばかりで、昔はこんな流れの激しい川(昔はもっと水量も多かったと聞いています)で遊んだのですから、強くなるわけです。

 父方のいとこの家に行ったのですが留守だったので、天竜川を渡って、山奥の親戚の家に着いた時には2時を回っていました。母方の伯父の墓参りをし、新盆を迎えた別の叔母の家に。

 飯田市からは赤い石が多く出土することから赤石山脈南アルプス)と呼ばれる山々は、飯田市からは千丈岳以外を殆ど見ることが出来ません。手前に1500-2000m級の山脈があるためです。

     

 近くに2軒ぐらいしか家のない村なので、突然の我々の訪問に叔母も驚いていました。お茶を頂いて少し話をしてから、また天竜川を渡っていとこの家を再訪。

 途中で切石を通ったついでにまた喜久水酒造に寄って、TELで住所が判った知人への送付をお願いしたところ、¥3k越えは送料無料と言うことでラッキーしました。

 いとこの家を訪れる前に、父方のお墓参りをしようと昔の記憶を頼りに訪ねたところ、お墓が区画整理されていて、我がじい様のお墓がわかりません。なにせ私の苗字のお墓ばかりが一箇所にかたまってあるからです。しかしながら、なんとか探し出しました。息子もあまりにも同じ苗字の墓の多さに驚いていました。

 久しぶりにお会いしたのですが、まぁ上がってと言うことでまたまたお茶を頂いて、最近原田芳雄が無くなって話題となった「大鹿村騒動記」にエキストラでいとこが出た話やらリニアが来て飯田駅がリニューアルすると言う話で盛り上がり、おいとましたときには5時を過ぎていました。

 キャンプへ続く。