下総の細道(Life Is Like A Phantom)

百代の過客は月日にして行き来う年もまた旅人なり

知立祭り

 折角この日に来たので知立の祭りを息子に見せようと思い出掛けました。出だしで寝坊した上に、中央道の渋滞にも引っ掛かってロスタイム。  まずは、腹ごしらえ。つるつるうどん瓢六庵で味噌煮込み。さすがに季節的にちょっと暑かったです。  息子は冷やしうどん&エビ天重セット。  この腹ごしらえで山車を神社へ入れるところを撮りそこないました。  暑い上に、凄い人出で大変でした。しかも、境内の砂埃も多く、ちょっと写真も全体的にオーバ気味な露出です。山車の迫力を見て貰うためにも、今回は圧縮せずにUpしてみました。  ちょっと砂塵も多かったので、レンズ交換はためらわれましたが、勇気を出して70-200mmに交換しました。  西町は国宝の人形からくりで、「平治合戦」でした。おそらく、弁慶と牛若丸とではないかと思われましたが、下の記事によると90年ぶりに復活した牛若丸と喜平治とだそうです。 http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/aichi/news/20100430-OYT8T00090.htm  天狗が牛若丸を連れ去るシーン。  家来が敵をグルグル回して、最後は放り投げます。  これだけの動きをからくりで出せた、江戸の職人の知恵と心意気とに驚かされます。  本物の生の浄瑠璃です。  山車の豪華な内装。  親子の再会と離別とを物語りにした「傾城阿波鳴門〜巡礼歌の段〜」。人情物の宝町の出し物。  細やかな指の動きも表現できます。  手拭は黒子が持っていますが、涙を拭くシーンも見事です。  目を閉じる事もできます。  最後までまで見入ってしまいました。TVや映画の無い時代にはリアルな表現力で、多くの人々が見入ったことが容易に想像できました。  浄瑠璃を演じていた歌い手。  人形を準備する、黒子。人形への愛着を感じます。        三河八橋のかきつばたが(「(か)らころも (き)つつなれにし (つ)ましあれば (は)るばるきぬる (た)びをしぞおもう」と「か・き・つ・ば・た」を各節に韻を踏んで在原業平が読んだ)が有名ですが、神社の裏にかきつばた畑があり、咲き始めていました。  小学生の頃、山かがしが大量にいて、同級生が捕まえては弘法通りの蛇屋へ売り飛ばしていたのを覚えています。私は蛇が苦手なので、やれませんでしたが。  知立(池鯉鮒)は東海道五十三次の一つの宿場町です。広重の絵にもあります。        古い東海道をしのぶ家もだいぶ減りましたが、まだ残っています。  山車を仕舞う豪華な蔵が出来ていたのには驚きました。        三州瓦の産地でもあるので、瓦葺きの家も多いのですが、屋根に置物を発見。  旧東海道側に銭湯があったのですが、マンションになっていて無くなったなぁ、と思っていたら、裏側で大きな温泉になっていました。同級生の親が経営していましたが、もうきっと代替わりしたでしょう。  車を駐車した駅近の立体パーキングからは懐かしい赤い名鉄がよく見えました。  駅の近くの私が通った大宮塾を見に行ったのですが、もう無くなっていました。どうなったのか、知りたいところです。  知立と言えば名物「おおあんまき」の藤田屋ですが(昔「おおあんまきがコロンコロン」なんて、CBCラジオで宣伝していました)、今日はお休みだったので買えませんでした。  帰りは、昔住んでいた実家があった山屋敷とよく遊んだ駒場町(こまんばまち)とを通って、未来都市のようになった豊田南JCに乗って帰ってきました。15年も暮らした土地なので、慣れ親しんだ見覚えのある土地のはずなのに、愛知万博ですっかり街が様変わりしてしまった様に感じました。