下総の細道(Life Is Like A Phantom)

百代の過客は月日にして行き来う年もまた旅人なり

最強のふたり/フィッシュオン

 長年の勤務にお祝い休暇を頂いています。(退職時の日常を擬似体験するための休暇か?)

 佐治敬三開高健シリーズの続き。

 いずれも図書館で借りました。「最強のふたり」は去年の7月発行ですが、リクエストして今まで待たされました。

 「最強のふたり」を読んで、開高健がどのようにコピーライタから小説家になっていくのかがよくわかります。

 フィッシュオンを読んでいると、本当にこの人は釣を楽しんでるのだろうか?と思う文体でした。「最強のふたり」に石原新太郎が開高健に、

「君の釣は一般の人が楽しんでいる釣とは違う釣だね。」

と指摘されて、ギクリとして固まった開高健がいたと言う記載があって納得できました。

 世界へ出掛けて釣をすることで、全ての嫌な事(小説・家族)から逃れるための、「言い訳」だったと気付きました。

 ベトナムへ行ったのも、何か使命感があったわけではなく、芥川賞受賞後の小説家からの逃避だったのではないでしょうか。本当は精神的に気弱で、とても戦場へ自ら赴くような人でもないのに、たまたま流行中の週刊誌から特派員として乗り込んだベトナムの最前線から命からがら生き延びて、まさに時代の寵児となってしまった最後の小説家、ではないかと言う気がしました。小説家の時代はこの頃を境に終わった気がします。

 その週刊誌を発行していた新聞社の新聞記者が、そんな開高のことを批判していたのを以前読んだことがあります。特派員としてベトナム潜入ルポを書いた有名な新聞記者から、開高健が批判されなければならないほど、立派な人物だとは思えませんでした。むしろ、片や花形小説家として世間のスポットライトを浴びて輝いていた開高へ、その新聞記者のやっかみもあったのではないかと思いました。

 「フィッシュオン」に赤いメッシュの登山シャツを着ている写真や、パリの意味深な2人と題したセーヌ川での釣の写真が掲載されています。「最強のふたり」にその赤いシャツのいきさつや、パリへ行っていた時に開高著「輝く闇」の出来事が起きていたことも書かれていて、つながりのなさそうな2つの本がつながっていて面白かったです。

 きっとあの写真を撮影した開高健の相棒の秋元カメラマンも、その辺の事情をよく知っていたのではないかと、勘ぐってしまいました。「フィッシュオン」の写真を見ると、秋元氏がカメラマンとして優秀だったかどうかはちょっと疑問符がつきました。