下総の細道(Life Is Like A Phantom)

百代の過客は月日にして行き来う年もまた旅人なり

司馬遼太郎が描かなかった幕末

 市の図書館へリクエストしたら、県図書館から借りてくれました。

   

 山口県の歴史博物館の人で高杉晋作を研究している歴史学者として、売れっ子歴史小説家・司馬遼太郎の作品の問題点を淡々と説明した本。

 歴史小説として主人公を輝かせるために、歴史の空白を想像で埋めるのが歴史小説家で、必ずしも史実ではないのに、史実のように世間に流布してしまう問題点を指摘し、想像で歴史を描写する小説の功罪を書いています。

 松田松陰が世間で言われてるほど、立派な人ではなさそうなことはかなりの確立で高そうですが、坂本龍馬も本当に幕末史で薩長同盟の立役者として活躍した一人なのかどうかは疑わしそうです。

 高杉晋作はやはりテロリストではありますが、多くの本でやくざな描かれ方をされているほど乱暴者ではなく、上士の子息で言ってみればお坊ちゃんだったようです。むしろ騎兵隊での活躍により、そう見られなかっただけではないかと思います。騎兵隊での活躍も、最前線で活躍したと言うよりも、戦況を見極めて奇襲戦法を選択した作戦参謀としての能力が高かっただけかもしれません。最後は若くして結核で死んでいるし、写真もよく見るとどちらかと言うと「お坊ちゃま顔」な気もしてきました。イメージだけですが。

 明治維新を革命と書く人もいるようですが、フランス革命のように町人が蜂起したわけでも、農民一揆が拡大したわけでもなく、マルクスの言うところの階級闘争と言えない時点で革命ではなかったと言えます。

 「全人口の10%に満たない武士階級の下層武士がテロをともなって、外国資本がバックアップしたクーデタ」と書くのが正しそうです。

 なぜここへ来て維新の歴史を見直す機運になっているのか不思議です。

 最近、某政党が名前に使ったり、「船中八策」を政治家が安易に引用したりする、明治維新美化への警鐘でしょうか?

 今、「読書」カテゴリーで下記の本の記録が抜けていることに気付きました。

 会津戊辰戦争を仙台生まれの福島民報元記者が書いた本。会津側から見た維新が描かれています。

 私が仙台にいた時に、「西郷の子孫が東北に来て和解」と言う記事を河北新報で読んだ時の驚きが理解できる一冊でした。