中学生の時に宮沢賢治を読みふけった時期があって、一度花巻に行きたいと思っていました。ようやく望みがかないました。学生時代にバイクで行こうとして時間切れで断念して以来なので、約25年目の念願がかなったことになります。
中尊寺を見学した後だったので、暗くならないうちにイギリス海岸へまずは直行しました。
イギリス海岸を再現させるためにある期間だけダムの放水量を抑えて貰っている、と言う記事を1ヶ月ほど前の河北新報で見ました。確かに水量が多く、イギリス海岸と呼ばれた頃の河床を見ることは全く出来ませんでした。
それらしい感じが見られる支流が合流している河岸。
河川敷に生えていた白樺。
偶然、息子が見つけた雁の編隊。
賢治が見たであろう風景を体験できただけでも、何か自分の中で描いていた風景がマッチして素敵な気分になれました。
その後、宮沢賢治童話村と宮沢賢治記念館とへ行きました。童話村は、花巻市の箱物行政っぽい施設ですが、ここで良かったのは鉱物の展示。宮沢賢治と言えば農業指導員としての「雨ニモ負ケズ」が有名ですが、石灰工場の技師の傍らで鉱石採集をしていたことも有名です。
なかでもこの玉髄はすごい石でした。中の紫色の見事なグラデーションが僅かにしか写真に再現できていないのが残念です。
石好き親子なので、やや興奮。他の施設は子供だましっぽいですが、息子的には本日一番楽しかったようです。2番目は擬似わんこそばだそうです。
賢治記念館は賢治ファンとしては、もう少し時間があれば一日掛けてじっくり見たかったです。今回の発見は、科学者と文学者との間の葛藤のような物が感じられたのと、
病床で最後に眺めていた葛飾北斎の東海道五十三次の版画が、偶然にも我が出身地の「池鯉鮒」(知立)だったと言うのは驚きでした。あとは、エンジニアらしく字が下手なのと、彼の顔を良く見ると昔の日本人らしい顔だと言うことでしょうか。
仙台へ帰ってきたら20時を少し回っていました。